Entropure エントラプーレ 犬 動物 保護 里親 ボランティア




ハッピーちゃん
東京の中野区を放浪している時に保護され、『保健所の成犬・猫の譲渡を推進する 会』から縁があって我が家に来たのが2000年の10月でした。 お誕生日は分からないのですが、たぶん春生まれというコトで私達の結婚記念日を誕 生日とし、この時が推定1歳半。 今までが不遇な分、幸せになれますように!そして私達も幸せになれますように!  そう願ってつけた名前です。

最初こそ外で飼っていましたが、寒いからと夜は玄関に…そしてリビングに…と数ヶ 月で居場所がどんどん変わり、リビングで寝ていてウンチをしてそれを隠そうと食べ てしまったので お腹が痛い時は私を起こせるようにと寝室も一緒にしました。 結局、寝室の布団の中 私のうで枕が眠る時の定位置。 甘え上手のハッピーです。
とっても元気な女の子で、ボール遊びや川で泳ぐコトが大好きでした♪ それでも、もう大人だったからでしょうか? 困った行動はひとつもなく、低いテー ブルに食べかけの物を置いてもいっさい盗み食いしません。 大きなサイズの物を口元に近づけると顔をそむけ、一口サイズだと喜んで食べまし た。

2008年9歳の時に変形性脊椎症を発症し、右前脚を今までのように使えなくなり歩行 が困難になりました。 カートでの散歩を楽しみつつ、日々を過ごしてきましたが、 2009年4月 10歳になったばかりの時にその右前脚の肩に骨肉腫が判明。 もう積極的な治療はなにも出来ないと言われ、余命3ヶ月と宣告されてしまいまし た。
しかし、手作りの食事とサプリメント・そしてマッサージとで緩和治療を続けまし た。 ハッピーの生きる力はとても強く、翌年の2月までは元気に過ごしてくれました。 その後病状が進行し3月から寝たきりになってしまいましたが、そこから2ヶ月もの 時間をくれて 私はハッピーと密度の濃い時間を過ごしました。 2010年5月 楽しかった♪ そう言って虹の橋に旅立っていきました。 ハッピーと暮らせて本当にとっても楽しい幸せな時間でした。


サンちゃん
先代のハッピーが亡くなって、四十九日が過ぎた後 同じ病気の友達ワンコに会うた めに長崎へと出かけました。 迎えに来てくれた友人に会うなり見せられた写真、それがサンです。 7月1日に飼いきれないと持ち込まれたクリームラブのパピー、高齢のおばあさんに 息子さんが寂しいだろうからと子犬を連れてきたのですが、3ヶ月を過ぎて急に大き くなり自分では面倒が見られなくなったそうです。息子さんも失業中で飼えないとい うコトで、連れてこられてしまいました。

1日 それはハッピーの月命日です。 もしかしたら別の日だったらサンを引き取らなかったかもしれません。 でも運命を感じてしまい、ハッピーから託されたような気がしてしまいました。
主人に電話で話したところ、その直前にハッピーを思って彼も泣いていたそうです。 彼の許可も得て、旅の途中で愛護センターに連れて行ってもらい初めて会いました。 皮膚の状態は悪く、しつけもほとんどされていません。ワクチンも1回だけでした。 それでも元気よく歩く姿にこの子を助けなくっちゃと思いました。

主人との話し合いの末、迎え入れることになり彼は飛行機に乗ってやってきました。 沈んだ我が家の太陽に、“ムスコ”という意味もかけてサンという名前になりまし た。 しかし実際にはとっても大変なことでした。 大人でおとなしかったハッピーしか知らない私達、元気よく動きまわり破壊をし噛み つくサンにどう対処していいか分からず悩みました。 軽々しく助けなくっちゃなんて思った自分に後悔もしました。

思っているようにいかず怒ったり、泣いたり、自己嫌悪に陥ったりと辛い日々もあり ましたが、 少しずつサンとの距離が縮まった気がします。 サンは私に気長になることの大切さを教えるために来たのでしょう。 今ではだいぶ言葉の意味や空気も感じるサン、私達もサンのストレートな甘え方が可 愛くてなりません。
これからもっともっと仲良くなって、ハッピーとした楽しいコトをサンに経験させて あげたい! もう大丈夫、サンは大事な大事な我が家の息子です。


アイスちゃん
ニュージーランドではドッグレースを引退したグレイハウンドに、 ペットとして新しい生活をさせてあげよう!
・・・という団体(Greyhounds As Pet=通称GAP)の活動が盛んです。 グレイハウンドなんて見たこともなかったわたしたちでしたが、 ある時イベント会場でGAPの人たちが連れていたグレイハウンド達に会って、 その美しさと穏やかさにハートをわしづかみされました。
数日後に連絡すると、さっそくGAPのスタッフが家庭環境のチェックに訪れ、 この家にピッタリな犬がいるよ!と紹介されたのが、 ケガのためレースを引退した当時3歳半のアイスでした。
現役のレース犬は合宿所のようなところで暮らしているため、 グレイハウンド以外の犬種に会ったこともなく、普通の生活をまったく知りません。 そのため引退犬は成犬でありながら、まるでパピーのように 見るモノすべてが珍しくて、好奇心いっぱいです。
また、レースではウサギを模した白いフワフワのものを追いかけるよう訓練されるため 引退してしばらくは白い小型犬を見ると突進してしまったりと、 普通の犬とはちょっと違う苦労もいろいろあります。 でもGAPの活動を通じてたくさんの人たちと知り合ったり、 アイスを連れているとどこに行っても人々に声をかけられたり、 グレイハウンドつながりで誰かを紹介してもらったして、世界がぐっと広がりました。
レース犬のイメージとは程遠く、「世界最速のカウチポテト」と呼ばれるグレイハウンドですが その魅力がなかなか伝わりにくいのは本当に残念だと思っているので アイスを通して、1人でも多くの人たちにグレイハウンドの素晴らしさを知ってもらえたら嬉しいです。


ニコルちゃん
ニコルです 生年月日は2005年11月13日 推定5歳といわれてたので新しいお家に来たときの日を誕生日にしてもらいました。 命の恩人さんたちがボクに新しい命をくれました。 この世であと一日といわれたボク...今は元気に暮らしてます。 保護団体の方に『ニコル』という素敵な名前も付けてもらいました。
重度の股関節形成不全の後ろ右足は脱臼したままの状態で 上手く歩くコツも覚えてなんとかここまでこれたけれどもう限界でした。 人工関節を入れる手術をしてもらってボクは生まれ変わったような気がします。 ボクの大好きなことばは「いいこね」「ごはん」「お散歩」です。大嫌いな言葉は「 お留守番」
それでもね、全然出来なかったお留守番も今ではだいぶ出来るようになりました。



さくらちゃん
2010年3月、飼育放棄によりセンターに持込まれたさくらは、運良く保護活動を されている方に助けられました。 保護当時のさくらは、身体中が泥だらけで痩せこけ、膣脱という病気を患っていたそう です。 幸い、さくらを保護していただいた方がすぐに病院に連れて行き、手術をしてくださっ たため、 今は病気は完治しましたが、さくらの犬歯は4本全てが短く削られ、完治することのな い 傷痕が残っていました。 センターへ持ち込んだ飼い主の(飼育放棄の)言い分は「噛むから…」だったそうです 。
さくらが我が家の子になって9ヶ月が経ちますが、犬歯を削る必要があるような噛む行 為は、 これまで一度もありません。 とても穏やかな性格で、あまりにも聞き分けが良く、自己主張しないので、それが可愛 くもあり、 可哀相でもあ り。。。
初めて会う人には警戒して近寄らないこともありましたが、今では誰にでも愛嬌を振り まいて、 「嬉しい」をその大きい身体でめいいっぱい表現してくれるようになりました。 さくらとの出会いは、インターネットの「いつでも里親募集中」のサイトでした。 写真でしか見ていませんでしたが、少し前に病気で亡くした先代のモモ(G・レトリバ ー)に 雰囲気が似ていたため、どうしても気になり、思い切ってさくらを保護していただいた 方に 連絡をとりました。 しかし、さくらが保護されたところは鳥取県で、私が住んでいる沖縄へは、飛行機を乗 り継いで 移動しなければなりませんでしたので、さくらの負担が大きいことと、他に里親の希望 者が居たため、 一度は断られてしまいました。 さくらのことを思えば、大事に育ててくれる方がいれば、それはそれで良いことだと思 い、 諦めていたところ、 縁あって5月26日、遠い鳥取から羽田乗り継ぎで、海を渡った ここ沖縄まで 元気にやってきてくれました。
飼育放棄された子の里親になるのは初めての経験でしたので、さくらを引き受ける前は 、 ちゃんと意思疎通がで きるのか、生活上必要な躾を覚えてくれるのかなど、老犬手前 の子の 里親になることに不安を抱いたこともありました。 すぐ傍で横たわっているさくらの穏やかな寝顔が、それまでの心配が杞憂であったと思 わせてくれます。 今回の経験を通じて、里親になることは、決して、捨てられた命を拾うボランティアで はなく、 人と動物との大切な出会いの1つの形であることを思い知らされました。 この子を引き受けて本当に良かったと実感する毎日です。 これからも、さくらとの時間を大切に過ごしていきたいです。



ななちゃん
1991年の12月、ななは家にやってきました。 当時、義母の働いていた工場に迷い込んできた犬が生んだ4匹の子犬。 その中で一番最後まで残っていた子を義母がつれて帰りました。 なので「なな」という名前の名付け親は義母なのです。
偶然、実家に寄った夫から「子犬がいるからつれて帰りたい」といわれ 一緒に迎えに行きました。 帰りは初めて乗った車に酔って不安そうにしていましたがその後はドライブ 大好きになってくれてどこでも一緒に行きました。
18年と8ヶ月たくさんの思い出をくれて去年の5月、虹の橋へと旅立ちました。 ワンコと暮らす楽しさとたくさんの友人を作ってくれたなな。
子犬育ても介護も手探りで試行錯誤の日々でしたが 貴重な体験をさせてくれたと思っています。 私たちにしては、出来すぎた娘。。。心から、ありがとうね。



チャイちゃん
この場を借りて、かけがいのない命を救ってくださっている保護団体、ボランティアの みなさまに心から感謝申し上げます。
チャイは2009年10月31日、約8ヶ月の時、青梅から我が家のある甲府へやってきました。 千葉で幼くして捨てられ、Happy Labs の保護犬預かりご家族に救われました。 保護された時は栄養失調で、兄弟らしきもう一匹のワンコは餓死していたとのことでした。 その後、同グループの青梅のご家族の元へ行き、たくさんの兄姉ワンコとともに大切に育てられました。
同じ年の2月に先代ワンコを失った私たちは、悲しみに暮れていました。 犬との生活がいかに幸せであったかを感じながら、また犬と暮らしたいと願い、 探し始めました。
インターネットでチャイの存在を知り、“この子だ!”と思い、里親になりたいという 熱い思いを綴りました。そして、願いが叶いました。
強い運命を感じながら、チャイとの生活が始まりました。 家に来た時は、やせっぽっちのワンコでしたが、1歳になる頃には立派なゴールデン? になりました。 人懐っこく、甘えん坊で、犬も猫も大好きなワンコです。 まだこどもですが、不思議なほどイタズラ一つしないのは、千葉と青梅のお母さんや兄姉たちの良いしつけのお陰です。
愛と笑いを与えられ、毎日を幸せに過ごせることを感謝するばかりです。 チャイの話をすると、多くの方が救われるべき貴い命があることを知ってくれます。
これからもチャイがいっぱい笑えるよう、ともに楽しく過ごしていきたいと思います。



エルちゃん
2010年5月29日、エルとの生活がスタート。ウチに来た時は13歳でその夏に14歳の誕 生日をお祝いしたね。
本当の誕生日は知らないけれど先住猫のアカと一緒の誕生日に決まったんだよね。 エルの13年がどんなものだったか知っているけど思い出したくない13年だよ。
私の顔を知らないエル、私の声を知らないエル。でもかすかに感じる影や音を頼りに いつも私を感じてくれているよね?
エルの瞳は真っ白だけどでもきっとエルには私達家族がうつっているよね。 エルが幸せな犬生だったと感じてくれる事を願ってこの先もまだまだよろしくね。



チワちゃん
大須観音の境内に捨てられ後一時間の命と友人からの電話で知り我が家に縁あって来た可愛いチワちゃん、 来た時には首に円形脱毛ができていました。よほど不安だったと思います。
すぐ病院に連れて行き健康検査予防注射を受け円形脱毛のお薬をいただき、我が家の家族になり、 家族に18年間無償の愛をくれ、昨年急に5月の連休に呼吸困難になり虹の橋を渡ってしまって、 私はペットロスになり、エントラプーレさんのお陰で可哀想なペット達の現実に目を向けられるようになりました。
これもチワちゃんからのメッセージと思います。
良き輪は良き輪で繋がっていくと信じています。



ユーリちゃん(5才:右)・ギャビちゃん(3才:左)
どちらも小諸の愛護センターから来ました。
何の雑種なのかよく分りせん。
ユーリは飢えていた頃、松ぼっくりを食べて凌いでいたので、しばらくの間松ぼっくりを食べて困りました。 今は見向きもしませんが、とっても食いしん坊で何か食べ物はないかと探しています。
ギャビは生まれてすぐ保健所に持ち込まれ、愛護センターで犬用ミルクで育ちました。 そのせいか、食べ物にはあまり関心を示しません。
2頭とも飼い主に歯磨きをさせるイイコです。



きりんちゃん
「きりんは2010年4月に家族の一員になりました。
千葉の水郷の町で有名な場所で3月初めに捕獲されたそうです。 後で分かった事ですが、その日は偶然にも私の誕生日と一緒で 運命的なものを感じました。
愛護センターでの、きりんは飼い主に探してもらえず命の期限ギリギリの 所で保護団体ちばわんのボランティアの方がご自分のお宅にも保護犬が 居るのにも関わらず引き取って下さったそうです。
我が家に来た当時はラブラドール.レトリバーと云える体型で は無く 可哀想なくらい太って肉球は子犬の様に柔らかく、後ろ脚は筋肉も 付いてなくクサリで繋がれたままだったのか内股と後ろ脚は傷だらけ でした。
またフィラリアは陽性で朝方になると咳が必ず出ていました。 ですが我が家に来てから早10ヶ月が経ちましたがおかげ様で 毎日のお散歩でか筋肉も付きフィラリアの症状も今の所落ち着いて 居ます。最近では物事の判断も出来る様になったり我が儘を云って も良いんだ って、思う様になったりで嬉しい限りです。
春にはきりんと三人でお花見する事が今からの楽しみです!
きりん!ずっと一緒に笑って過ごそうね〜」



ころちゃん
2010年の始め頃から突然近所で見かけるようになった、ドロンジョ様そっくりな白黒猫ちゃん。
春頃、裏のお宅の軒下で出産したらしく、3匹の仔猫と一緒に時々姿を見せていましたが
いつの間にか仔猫達の姿は消えました。
近所の猫事情に詳しい新聞屋さんの話では、ご飯をくれる決まった家はないらしい、
先日ゴミを漁ってカビだらけのパンを食べて吐いていた、仔猫達は病気や事故で
死んでしまったのかもしれない、とのこと。
夏になり、うちのベランダで朝晩ご飯をあげ始めました。
(名前もころにーた(ころ ちゃん)と付けました。)
仔猫がいなくなったのですぐに発情期に入ってしまい、近所の雄猫達を常にはべらせて
行動し始めました。そこで、また妊娠してしまったら可哀そうだと思い、なんとか捕獲して
避妊手術を受けさせました。
ベランダでご飯をあげていたのは1ヶ月ほどでしたが、既に情が移ってしまい
リリースして毎日元気にやって来るかどうか心配するよりも、いっそ家に入れてしまおうと決意し 家猫修行を始めて現在に至ります。
まったく人間に慣れていない子で、夜鳴きは4ヶ月続きました。威嚇やパンチも激し いものでした。 ケージ生活は2ヶ月程で、今は個室で自由に暮らしています。
棒の先につけたブラシで撫でることから始め、今は手袋をして撫でられるようになりました。
相当分厚い皮手袋ですが(笑)。
保護当時と比べると驚くほど毛並みが美しくなり、体も丸くなりました。
まだまだ怖がりで、人間とどう付き合っていいのか分からないようですが
ときおり可愛い声で鳴いてご飯をねだります。
素手で撫でられても平気になって、抱っこも出来るようになれば家猫修行も修了です
終了証書を渡せる日が来るのを楽しみに、今日もお世話にいそしみます。



カケフ君(写真右)

2007.10.16(当時推定4、5カ月♂)ブログの友人が保護。 友人が犬の散歩中、1台の車が去って行き、そこにカケフがいたそうです。
その車の方がカケフを置いていったのかはわかりませんが、 カケフはとても人懐っこく、人間と暮らしていたのではないかとすぐに感じたそうです。
友人はカケフを保護する2週間前にも、目がまだ開いてない子猫を2匹保護しており、 その子たちの様子や、カケフのことをブログにて綴ってくれてました。
私はその一視聴者だったのですが、 カケフをブログではじめて見た時から、なぜか「この子!」 と、いう不思議な感情がありました。
しかし、我が家はシニアのワンコ(ネネ)がいる為、 ネネの気持ちを考えると、
「カケフの里親はどうなんだろう・・・」
「いや、かえってネネの刺激になっていいのかも・・・」
などと、葛藤する日々が続き、結局踏み出せないままでした。

その気持ちを共通の友人に打ち明けたところ、 悩んでた私の背中を押してくれ、 カケフとのお見合い→トライアル→そして正式譲渡となり、 無事に我が家の息子となりました。
初めての猫飼い、ネネとの距離(相性)、決してスムーズではありませんでしたが、 今となっては、カケフを迎えたこと、本当によかったと思ってます。
カケフは、おとなしく、本当に頭のよい子。
主人も私も犬好きで、犬との暮らししか経験がなかったのですが、 猫がこんなにも魅力的でおもしろく、かわいいということをカケフが教えてくれました。
カケフ、うちの子になってくれて本当にありがとう。
そして、あの時保護してくれた友人や、 背中を押してくれた友人にも本当に感謝してます。

トラ君(写真左)

2009.5.31(当時推定3〜4週間♂)私の職場近くにて保護。
職場の方から、「○○に猫が捨ててある」と聞き、 一度は聞かないふりをしたものの、気になって仕事が手につかず、 「え〜い、気にるくらいなら」と思い、見に行くと・・・。
大きな声で鳴き、元気はあるが、 体はガリガリのお尻は下痢でガビガビな状態の子猫が1匹、 箱に入れられて捨てられてました。
今考えると、子猫を育てたことも飼ったこともなかったので、 無謀だったと思いますが、幸いカケフを保護してくれた友人が、 子猫の育児経験をブログで紹介してくれていたのを見ていたおかげで、 何となく心強く、「私でも命を助けることができるかも」そう思い、 職場の方々の助けもあり、無事に保護することができました。
体重わずか225グラム。(両手にすっぽり入るくらいの大きさです。)
ミルクはまだ自力で飲むことができませんでした。 友人にアドバイスを受け、ネットで調べまくり、主人の助けも借り、 手探りな仔猫の育児が始まりました。

3〜4時間おきのミルクがある為、会社に同伴出勤をしたり(理解ある職場に感謝です)、 最初はうまくミルクは飲めないし、排泄が促がせなかったりと不安だらけでしたが、 それ以上に、日に日に大きくなってくるトラがかわいくて、かわいくて。
食事や排泄が落ち着き、元気にすくすく育ってくれる一方で、 心配になってきたのが噛み癖と我儘。
本来なら親や兄弟から学ぶ噛む力の加減や協調性。
それが、3〜4週間で引き離されてしまったトラには全く身についていませんでした。
きっとこんな状態なら、もし里親さんが見つかったとしても、 出戻りになるかも・・・と、いうレベル。
そんな時に、カケフが噛む力加減、 上下関係などを自然と遊びを通してトラに教えてくれたのです。
もし、カケフがいなかたら・・・ そのくらい、トラにとってカケフは大きな存在でした。
最初、トラは里親探しを考えていたのですが、 カケフとトラの遊ぶ姿をみていると、本当の親子、兄弟に見えてしまい 結局、我が家の次男として迎えることになりました。
今では、あの我儘なちびっ仔も、体はカケフとほぼ同じ大きさになりましたが、 どんな時でも、お兄ちゃんには頭があがらないようです(笑)
そして、私たち夫婦は1年前に縁があった小さな命、 この小さな命から、大きな幸せを毎日わけてもらってます。

ネネ、カケフ、トラ、
うちの子になってくれて、本当にありがとう。

そして、最後に・・・
保護され、里親さんがみつかる子はほんの一握り。
1日=約1000匹
1日に犬猫の命が消えている(処分)の数、これが日本の現状です。 少し目線を下げ、動物の命と向き合うことができる人が増えることと、 少しづつでも、この数が減少していくことを願います。



大和君 推定6歳 
2006年1月7日に家族になりました。
東京 足立区を放浪しているところを捕獲されて愛護センターへ
小型犬老犬を中心に保護活動している団体 CATNAPさんを通じて
我が家の家族になりました。

ぷりんが秋田犬MIXだったことから 秋田犬が気になってしまったのですが
秋田犬 成犬 牡と言うことで ずいぶん引き取るまで ずいぶん迷いました。

2005年10月に先代 ぷりんを悪性リンパ腫で亡くしました。
ぷりんが癌になったことで 同じ病気で戦っている飼い主さんと
たくさん知りあうことが出来ました。
本当に犬を愛する人たちとその中には 犬のトレーナーさんや
多頭飼育崩壊現場で戦った人やそして保護犬と暮らす人たち
その人たちの後押しがあって決心で来たのです。

お見合いしたその日に 家族になりました。
我が家に来た時は ガリガリに痩せていて
もう成犬なのに 肉球がプニョプニョで歩くと血が出ました。
お散歩もすぐに歩けなくなってしまってダンナが抱えて帰ってくる時もありました。
お腹もめちゃ弱くて 下痢p−ばっかり

今も 血小板減少症ですが 幸い発症していないので
元気に毎日 のんびり暮らしています。
家族のみんなが 大和に甘えてしまう頼りがいのある奴です。

飛鳥丸君 推定もうすぐ3歳
2007年11月23日に家族になりました。
飛鳥丸は 熊本の愛護センターにブリーダー持ち込みでした。
たまたま 取材に来ていた熊本の地方紙の記者の目に止まり
新聞で取り上げられたおかげで 命をつなぎましたが
極度の栄養失調で 同じ時に持ち込まれて兄弟数頭の中で
飛鳥丸ともう1匹だけ 助かりました。

我が家には7か月のときに来たのですが 通常20キロはあるという秋田犬
が わずか6キロ 獣医さんにもまともに育つかどうか
育っても10キロ越えるか15キロにはならないと言われましたが現在は28キロ(笑)
そんな極限状態なのに 飛行機に乗ってきた飛鳥丸
生きることに 常に懸命でした。
虫という虫を持っていて いつもお腹がすいていて
下痢Pながらもビオフェルミン片手に 日に何度もご飯を食べ(笑)
それでも足りないのか 目を離すと金魚のえさや生米や
食べられるものなら何でも食べてしまうという逞しさ。

ようやく落ち着いてきてワクチンを接種しに病院へ
するとなんと 先天的な心臓疾患が見つかったのです。「動脈管開存症」

この病気は早く見つけて 手術さえすれば治る病気なのですが
飛鳥丸はその時 もうすでに8,9カ月
しかも 血液の凝固異常も見つかり 一時は手術不可能とも言われてしまい
手術さえできれば 助かる命が。。。
と悲観してしまいましたが 循環器の専門のお医者様を紹介していただき
6時間にも及ぶ大手術に耐え 無事成功
その後 後遺症もなく 元気に走り回っています。

大和が世界で一番好きな 飛鳥丸です。
大和は うざったいときもあるようですが。。。

写真一枚だけで 我が家の家族になった飛鳥丸ですが
まるで 我が家に来るべくして来たと言っても良いほど
これ以上の相性は無かったように思います。

実は 飛鳥丸は 本当は千葉に行くはずだったのですが
千葉に行く前日に 歩けなくなってしまって
里親行きは取りやめになって もう1頭の兄弟が千葉に貰われて行きました。

保護ぬしさんは歩けない秋田犬の里親には誰もならないと思ったのでしょうか
「今回の話は無かったことに」と言われましたが
もう、家族にするつもりの我が家まして歩けなくなって里親探しも断念すると聞けば
これからの先のことが気になって気になって。。。
予定通り 里親になります。と連絡
千葉へ行くはずが 奈良にやってきた飛鳥丸です。




ちゃぼ 雑種 ♂ 推定3歳
野良犬から産まれたのか、産まれたから捨てられたのか、子犬の時に保健所へ。
保健所では生まれ持った強い生命力と本犬の強い精神力でパルボウイルスから生還。
ボランティア団体CATNAPに助けていただき、
2007年12月22日、推定9ヶ月で私達の家族になりました。
きれいなトラ模様、スマートな身体、長い脚、どこへ連れて行っても注目を浴び、
犬種名を聞かれ、その度に「雑種です!」と答えます。
とても頭が良く、私達が言うことを考えて理解し、応えてくれます。
そんな常に冷静なちゃぼも、実はとても甘えん坊で、毎晩一緒に寝てます。
多頭飼いのリーダーとしてみんなの手本になってくれて、
私達が嬉しいとき、悲しいとき、寂しいとき、楽しいとき、
どんな時でも側にいてくれるかけがえのない子です。
いつも頼ってばかりのダメ親でごめんね! でもやっぱり頼りにしてるよ!  ちゃぼ

まいる ラブラドールレトリーバー ♀ 推定4歳 
茨城県の不良多頭飼い飼い主の元、タイヤのホイルに首輪と一体になった鎖で繋がれ、
フィラリア強陽性、疥癬、貧血・・・・
ボランティアの方に助け出されなければ、現在、命があったかどうかわからない。
2009年8月16日、保護された4日目に私達の家族になりました。
その後、疥癬で剥げた毛はあっという間にきれいになり、
2度のフィラリア吊り上げ手術で70匹近いフィラリアを取り、
身体も見る見るうちに立派になって貧血も改善されました。
私達に生きる希望を与えてくれる子です。
もらってきてすぐにまいるの抱えている病気を受け止める自信がなく、
1度はボランティアさんに返そうと、見捨てようとした私達のことを
本当の親のようにベッタリ甘えてくれるかけがえのない子です。
まいる、あなたの犬生はこれからだよ!  益々元気になって、めざせ“フィラリア陰性”!

チト 雑種(白黒) ♀ 推定10ヶ月
今年の1月に茨城県の不良多頭飼い飼い主からボランティアの方に助け出される。
その時、すでに出産経験あり。(子供が子供を産む)
とても怖がりだった性格を、保護して下さったボランティアさんと預かりボランティアさんの
優しさで克服し、2010年4月29日、私達の家族になったばかりです。
私達の犬暮らし始まって以来、初めての抱っこできる小型サイズです。
小さな身体のビビリ屋さんが知らない家に置いてかれて1ヶ月、
我が家に馴染もうと一生懸命がんばってくれてます。
チト、これからつきあいは永いよ!  焦らず、のんびり絆を深めていこうね!




秋(あき)ちゃん
2005年4月2日、わが家に紛れ込んできた捨て犬です。
当時、生後3〜4ヶ月位でした。
最初は、お隣の地区を転々としていたようです。
しかし、ひと目で秋田犬と思える容姿です。
誰も手を差し伸べてはくれませんでした。
捨て犬が辿る運命を知ったもこの頃でした。
何とか命を繋げたい一心で保護し、里親さん探しをしましたが、
よいご縁がなく、わが家の一員になりました。
家に来た当時は、栄養失調寸前のやせっぽちでしたが、今では
こんなに立派に(笑)成長しました。

たくさんの問題を抱えていましが、大切な娘です。
家族みんなで頑張って克服していきたいと思います。
これからもよろしくね、あきちゃん!!



グラディスちゃん
2009年5月 河川敷で放浪しているのを保護され、動物愛護センターに収容される。
飼い主が見つかるものの、命の期限を伝えても迎えに来てもらえず、
保護団体に保護される。
お友達の紹介で、グラディスの存在を知り、保護団体へ連絡。
遠方の為、一度は断られるものの、縁があり6月27日に我が家の家族に。

それから、しばらくして 発作らしきものを起こしたので、病院へ。
重度の関節炎・ヘルニア・拡張型心筋症など、いろいろな病気が分かり、闘病生活開始。
そして、2010年1月末、毎月の定期健診で腎臓に腫瘍を発見。翌2月に手術。
腎細胞癌だと分かり、抗癌剤治療開始。
術後の経過も良く、旅行に行ったり、一日一日を大切に過ごしていた矢先、4月30日再発
GW中ともあって、グラディスとちゃんと向き合い闘病するも、5月8日に天国へ旅立つ。
最後まで、手がかからず、ワガママも言わず、
私達がお休みしなくてもいいように土曜日に旅立ち、本当に親孝行な子でした。

グラディスと過ごした時間は、とっても短かく、病気との闘いばかりだったけど、
グラディスと出会えて、沢山の幸せをもらい、色々なことを学びました。
我が家の太陽だったグラディス。
グラディスに出会えた事、家族になれた事に心から感謝しています。



アニーちゃん
2007.11.7、動物愛護センターに収容される。
検疫を経て、11.29 Happy Labs の保護犬お預かりママさん宅へ

分かっていたアニーの情報は
推定8歳、フィラリア陽性、虐待されていたであろうということ。
里親の話はとんとん拍子に進みました。きっとご縁があったのでしょう。
アニーを迎えるにあたり、我が家ではひとつだけ決めたことがあります。
「例え冗談でも叩く真似をしない」
アニーとの生活が始まると本当に8歳?と思うようなことばかりでした。
お散歩に行けば落ち葉を追いかけ、消防車や焼き芋屋さんに驚いたり、
まるでパピーのお散歩デビューそのもの!!
ブーツをサンダルに変身させたり・・・(笑
とっても明るいく、素直で人懐っこいGRらしい性格のアニーに
私たちはすぐ夢中になりました。

アニーを迎え2年が経ち、フィラリアも陰性に!!
最近では言葉を理解してくれるようになり、愛おしさは増すばかり。
これからもアニーがアニーらしくいられるように
アニーのペースで過ごしてもらえたら・・・が私たちの願いです。
アニー、いつも笑わせてくれて、ありがとねっ。
これからもニコニコでよろしくね。



ツキちゃん
じゃじゃうま姫のツキ、縁あって我が家へやってきました。

千葉のセンターに、とりわけ大きな声で助けを求める子がいた。たまたま訪れた ボランティア団体の方の目に留まり、「この子は助けなきゃ!!」と、助け出されたのがツキでした。 きっと、「助けて、助けて!!」と、ありったけの力を振り絞り、泣き叫んでいたのでしょう。

ツキの以前の生活は全く不明ですが、獣医さんによると、耳は綺麗に掃除してあり毛並みもまずまず、 おすわり・お手のコマンドは入っているから、大事にされていたんでしょう、ということでした。 ただ、爪は長く伸びてうまく歩けない状態、肉球は子犬のようにキレイなピンク色。 お散歩に行ってもらってないことが窺えます。 推定7歳、。ずっと家の中に閉じ込められていたのかと思うと・・・

我が家へやって来たのは半年前。最初は遠慮して自分を出せず、大人しくて聞き分けのいい子。 コーギーなのに恐ろしく手のかからない子だな〜と思っていました。でも、どこか寂しそう。 今考えるといい子でいなきゃっ!と、自然とそうなっていたのかな〜。

今では、よく笑うし文句も言うし、表情豊かに伸び伸び。時には「うるさいよ!」「ワンワン!」と喧嘩も・・ やっぱりコーギーでした。良くも悪くもツキらしさを存分に出してくれます。

よく「まだ半年しか経ってないのに、すごく懐いていますね」と言われるのが、我が家の自慢。 我が家になくてはならない存在、可愛いじゃじゃうま姫様。ずっと一緒にいようね。


達也君
3年前、飼育放棄により人間の手による命の終わりのカウントダウンが始まった時
運良く“ペット里親会”に救出され、縁あって我が家の2代目ゴルになった達也

1年目  言葉を解せず、心を閉ざしているくせに、会う人ごとに媚を売り
     部屋の隅っこで身体を小さく丸めて、怯えた顔して休む達也
2年目  私たちの言葉に耳を傾けるも、いつも一歩後退り
     四肢を伸ばすも、苦渋の表情で寝る達也
3年目  やっと甘える事を覚え、時には我が儘を言い
     親ばかながら、散歩の時には会話を楽しむようになり
     身体を投げ出し、“笑顔”で眠る達也

この笑顔の寝顔を見た時、本当に嬉しかったよ。
これからもゆっくり一歩ずつ達也のペースで歩いて行こうね!  ずっと、一緒に。


康太君
もちろん‘最初’の生年月日はわかりません!
寒空の下2009年3月16日に保護、結局飼い主現れず、
多数の問合せもある事から確実に抽選での引き取りになるでしょうと(管理センター)・・・
抽選の時を迎えたが、なんと誰一人引取りに来なかった!
家族の一員となった瞬間、あっ、健太(先代犬)が虹組の仲間が
きっと手回し、選択したんだなと。

体重30キロが一年経過してなんと38キロと!
細かった足もがっしりと筋肉もつき今は健康そのもの・・・
でも推定6歳だけど今までおもちゃで遊んだ事がなかったのか? ‘おこちゃま’(笑)
夫婦の結婚記念日の5月5日を誕生日とし、息子‘康太’は今年で7歳を迎える。
彼よって再度活気みなぎる生活が戻ってきた!ともに‘しあわせ’である。




「ほんのすこしの力」 で何かが変わり 「救える命」
かけがえのない命と向き合い、今自分に出来る小さなことから始めよう・・・


ご意見・お問い合わせ info@entrapure.com | www.entrapure.com

Entra Pure